ニッポン全国、ヒトつながり。
vol.1「香川県丸亀市・則包商店三代目 則包夫妻とOIKAZE 相原さん」・後編

金毘羅街道沿いの則包商店さん

 

香川県に丸亀市という場所があります。木造天守閣が残る丸亀城や、日本の90パーセント以上の製造シェアをもつ団扇(うちわ)が有名ですが、日本百貨店が初めて丸亀市の作り手さんから仕入れましたのは「おいり」というお菓子です。

もう5年も前になりますでしょうか。日本百貨店のコンセプトに共感してくださった丸亀市の職員さんが、「丸亀にもイイモノあるからぜひ見に来て!」とご連絡をくださって、その熱意に背中を押されてすぐに訪問することになりました。名物の骨付鳥を食べながら雑談で聞いた「おいり」のお話し。香川県でも西の地域(讃岐の西で、西讃地方というらしいです。丸亀もその地域)で作られていて、丸亀は発祥の地とのこと。え、おいりってなんですか?職員さんは、「結婚式の引き出物に使われるあれですわー」、と言われるのですがピンときません。じゃ見に行きますか。そんな軽いノリで連れて行っていただいたのが、丸亀市・則包商店(ノリカネショウテン)。100年続くおいり製造工場です。

この道35年。三代目の則包裕司さんとおいりづくりを支える奥様の満由美さん

 

忙しくてしゃあないといいながら明るく対応してくれたのは、三代目の則包さんと奥様。
ぱっと見丸いひなあられ。ひなあられの中にときどき丸形で大きいのが混じっているかと思うのですが、あんな感じ。口にしてみると、あれ、さくっのなかにねちゃっともちもち…。「おいりはもち米でできてるからね!」見た目もかわいいしこの独特の食感。これはうちのスタッフにもお客さんにも食わせたいぞっ!そう考え、仕入れ交渉!生産が間に合わないほど発注を抱えている則包さんに、市の職員さんの口添えもいただいてなんとか、しょうがないなあ、と言ってもらえました。

それから当社の定番商品として販売しているおいりなのですが、則包さんが作っている姿を一度も見られていないことが気にかかっていました。できる限り実際物が作られている状況を見て、感動して、その感動を店舗で伝える、そんなことを考えている私ですが、いつも忙しそうな則包さんの姿を見ていると、現場を見せてともなかなか言えずに月日がたっていきました。時間がたつと、おいりがお店にあることがアタリマエになってきて、あえて生産現場をみたいな、どうやってつくってるのかな、そんな気持ちも薄れてしまって、初めて口に入れたあの感動もだんだん遠いものになっていきました。

でも、人の縁は不思議なものですね。縁が円になって、ぐるっと回って帰ってくる。

今年に入って知り合いましたOIKAZEという会社の代表・相原さん。OIKAZEさんは丸亀市の地域商社。地域商社とは簡単に言いますと、その地域の産品を域外にたくさん販売するぞ、と“地域を発信する”会社さんです。丸亀のイイモノを全国に広めていくという会社を、今年に入ってから作られました。

もともと徳島出身の相原さん。ご縁あって丸亀市の産物を売っているのですが、何で丸亀なのかと聞きますと、「なんでもあるから」。おだやかな気候で農産物も海産物も、なんだって揃うので、地域産品を広める、という仕事をしたいなと考えた時に、幅広い品ぞろえと特徴のある特産品もあるという地域性が有利に働くと考えたそうです。見た目より打算的だなこのヒト、と思いましたら、「なによりもいい人ばっかりで、こういうことしたいんですよ、と話すとすっと懐に入っていけるんです。みんなオープンなんです」相原さんのお人柄もあるのでしょうけど、確かに見てますと、もともと地元の人ではないしこの仕事数か月しかやっていないはずなのに、どのメーカーさんとも和気あいあいと、一つのチームのように動いています。たくさんの産地でたくさんの作り手さんと仲良くしてきたつもりの私ですが、少しジェラシーを感じました。やっぱり同じ場所に住んでいるってすばらしいなと。年に一度やってくる鈴木さんよりも、毎日近いところにいてくれる相原さんのほうが、自分たちのことをしっかりわかってくれて、自分たちの商品を大事に販売してくれる。それはそうです、私も作り手であれば、身近にいてくれて自身の商品をしっかり理解してくれるヒトがいてくれたらどんだけ心強いか。直接作り手さんたちとの会話を大事にしている私ども「日本百貨店」ですが、その考えは変わりませんが、私たちの一番の強みは、店舗で作り手と使い手との出会いの場を作り出すこと。その出会いの場に参加する作り手さんたちについては、地元に住んでいる相原さんのような“作り手応援団”の方々ともしっかりと連携して、関係づくりを進めていきたいなと感じるようになりました。

さてその相原さんと知り合ってふと思いついたのが、長年見ることができなかった則包さんの生産現場。日々コミュニケーションをとっている相原さんを通じたら見せてもらえるんじゃないかな…。そんな下心をもって軽く相原さんに相談してみたら、なんと一発オッケー!朝からやるから8時とか9時においで!そんなメッセージをいただいて初めてお邪魔したのが則包さんの工場です!

工程を簡単に説明しますと、まずはもち米を蒸す→おもちを作る→細かくカット→常温で乾かして煎る(加熱)→ぷくっと膨らんだら粉末状の色素と秘伝の蜜で味付け・色付け→乾燥させて→様々な色のおいりを混ぜ合わせる→出荷!

 

  • カットされたおもち
  • 常温で乾燥
  • もちを焼く機械に点火する則包さん
  • カットしたおもちを加熱
  • ふっくら焼きあがったおもち。そうそう、これがおいりのかたち
  • もちの膨らみ具合は自身の目ですべてチェック
  • 色付けは奥様の仕事。
  • 奥様が色付けしたおいりを則包さんが再度加熱して乾燥させる
  • 幾重にも幾重にも色を重ねる。最初から最後まで全部手作業。
  • これこれ、これがいつも売っているおいりです。しっかしすごい体力、則包さん

 

先日酒造りを見に行った時にも感じたのですが、なんで手作業にしないといけないのか、機械のほうが簡単にできるじゃないか、と思う作業もあります。ですが、天気や湿度など、その日の様々な状況に合わせて、体が覚えている“加減”は、手作業じゃないとできないというのが、職人さんが異口同音におっしゃる極意。おいりの大きさはよく見るとマチマチだし、色だってムラがある。だけどもち米の状態からおもちにしてカットして、5日間乾かして…と手間に手間をかけるからこそ生まれる作り手の愛情。

作り手の愛情がこもっていて、それが使い手に伝わるから、長い間途絶えることなく嫁入り道具に使われつづけてるのかな~なんてことを想像しながら、工場を後にしました。則包さん、相原さん、そして最初に紹介してくれた丸亀市の職員さん。みんなを通してツナガル丸亀とニッポンヒャッカテンのご縁。大切にしてまいります。

鈴木正晴さん プロフィール

株式会社日本百貨店 代表取締役社長
日本百貨店 ディレクター兼バイヤー
群馬県桐生市 PR大使

1975年神奈川県生まれ。1997年東京大学教育学部卒業後、伊藤忠商事㈱に入社。アパレル関連の部門で、素材、生産から小売部門まで幅広く担当。その後、ブランドマーケティング事業部にて、各種国内外のブランディングの仕事に携わる。海外とのやり取りを日々行う中で、逆に日本国内の商品および文化の価値を再認識。国内の“モノづくり”文化に根差したすぐれものをより広いマーケットに広める一助となりたいと考え、2006年3月伊藤忠商事を退社。同年4月に株式会社コンタンを立ち上げ、made in JAPAN商品の海外輸出、国内外のブランドのブランディング業務を行う。 2010年12月には東京・御徒町に、「日本百貨店」をオープン。2013年9月に吉祥寺、2014年3月にたまぷらーざ、同年7月に池袋、2016年3月に横浜赤レンガ倉庫に出店。また2013年6月には食品専門の「しょくひんかん」を秋葉原にオープン。食・雑貨・衣料雑貨など、全国から様々なこだわりの商材を集め、作り手と使い手の出会いの場を創出し続ける。 直営店7店舗に加え、店舗コンセプトのプランニングや出店サポートの業務や、全国各地の小売店に“日本のスグレモノ”の卸販売も行う。著書に「日本百貨店」(飛鳥新社)、「ものづくり『おもいやり』マーケティング」(実業之日本社)がある。