十人豆色~とうふのうまみ旅~
vol.7 親子の想いが重なり膨らむ、油揚げ

豆腐の原料は、大豆・水・にがり。
シンプルだからこそ、繊細な手作業が仕上がりを大きく左右し、作る人の「人となり」や「考え」、その日の「気分」までも、鏡のように映し出すのだと、職人さんは言います。
だから豆腐の魅力は“十人豆色”(じゅうにんといろ)。
作り手の想いあふれる豆腐との出会いを求め、各地の豆腐屋さんを往き来し、見て、聞いて、味わって、感じ取ってきた豆腐の魅力を綴ります。

油揚げ、侮るなかれ

油揚げは、「豆腐を薄く切って揚げたもの」と、単純に思っている方が多いのではないでしょうか。そんなあなたにこそ知って欲しい、油揚げの奥深さ。油揚げは市販の豆腐を薄く切って油で揚げたところではできません。豆腐屋さんでは、専用の豆腐(生地と呼ばれます)を一から作り、低温・高温で2度揚げするという、想像以上に製造に手間が掛かり技術も必要な食材なのです。現代では工業化が進み量産された低価格な油揚げが定着している一方で、全国津々浦々、歴史ある個性豊かな「ご当地油揚げ」も健在です。

例えば、京都では「おあげさん」の通称で親しまれている「京揚げ」。横幅が25cm前後、縦幅は12cm前後の大判で、豆腐のようなしっとり食感が残る油揚げは「おばんざい」に欠かせない食材です。宮城県仙台市では、お寺の参道の名物に三角形の分厚い「定義揚げ(じょうぎあげ)」があります。特に揚げたては、カリカリっとした食感に油のジューシーさがたまりません。他にも、大きな正方形で極薄、おせんべいのようにパリパリに乾燥させた愛媛の「松山揚げ」や熊本の「南関揚げ」は、手で割って汁物や煮物に入れることが多いようです。このように、「ご当地油揚げ」は、その地の食文化に寄り添った個性があり、油揚げの奥深さを教えてくれます。

そんな「ご当地油揚げ」の代表として全国に名を馳せているのが、今回の主役、新潟県長岡市の名物「栃尾揚げ(とちおあげ)」。全長約20cmで一般的な油揚げを3枚重ねたくらいの厚さ、厚焼き卵のような形状です。切れ目を入れて、ねぎ味噌や納豆をはさんで焼いたり、煮物にしてたっぷりお出汁を吸わせたりと用途も様々で、県外でもファンが多く、居酒屋の定番メニューとしても見かけるようになってきました。

油揚げの街、栃尾を訪ねて

「栃尾揚げ」誕生の地は、現在は長岡市に合併された「旧栃尾市」。戦国武将の上杉謙信が幼少期を過ごした土地でもあります。誕生の歴史は江戸時代まで遡り、ひとつは、栃尾の「馬市」では「馬喰(ばくろう)」と呼ばれる商人と百姓が商売成立の証に酒を酌み交し、その際の酒の肴として考案されたと言う説。一方では、「火防の神」として広く信仰を集めていた「秋葉三尺坊大権現(秋葉神社)」への参詣土産として誕生した、という説があります。いずれにしても、300年ほどの歴史を誇る油揚げは、今や旧栃尾市の名産品として根付いています。


長岡市で最も長い新榎トンネル(しんえのきトンネル)

 

新潟県長岡市の市街地と旧栃尾市エリアを結ぶ新榎トンネルを抜けると、閑静な田園風景とレトロな看板を掲げる小さな個人店……まるでタイムスリップをしたような感覚です。「栃尾揚げ」の専門店が16店舗と密集するこのエリアで、今回訪れたのは、新鋭店である「あげ家 松兵衛(あげや まつべえ)です。元蕎麦屋を改装して建てられた店舗もまだピカピカです。


店舗

 

2015年8月にオープンした「あげ家 松兵衛」の看板商品は言わずもがな、「謹製 栃尾あぶらあげ」。油揚げの主役とも言える「油」は特注の菜種油で、香ばしさが食欲をそそります。外側はパリッと張りがあるのに、内側は芯までふわっとしています。日が経ってしまった油揚げに時々感じる油の酸化臭や、凝固剤特有の渋みは一切ありません。職人の「手揚げ」は、どうしても一枚ずつ形や厚みに個性が出てしまうのですが、「謹製 栃尾あぶらあげ」は「本当に手揚げなの?」と、疑ってしまうほど、端から端まで均一なふっくら感。あまりの美しさに見とれてしまいます。


ゆったりとしたイートインスペース

 

赤と黒を基調とした店頭のイートインスペースでは、揚げたてのアツアツの油揚げを食べることができます。まずはシンプルに出汁醤油で。次に添えられた納豆やキムチなどのトッピングに合わせて変化を楽しめます。調味料やトッピング次第で表情をガラッと変える油揚げの魔力、さすがです。

ちなみに、現地の小料理屋さんで教えていただいたのは、長岡市の特産品である唐辛子「かぐら南蛮」を使用した「かぐら南蛮味噌」。こちらもウマ辛な絶品調味料でした。


アツアツ油揚げに豊富なトッピング。湯気とともに香りが立ち、食欲をそそる。

親子で立ち上げた新しい油揚げ

「あげ家 松兵衛」は、油揚げ職人としてキャリアを積み重ねてきた父、大橋正和会長と、理系の大学を卒業後、飲食店を営んできた息子の大橋剛社長が、親子二人三脚で立ち上げました。ちなみに、「松兵衛」の名は大橋家の屋号が由来です。この地域では、「松兵衛のあんにゃ(松兵衛の家の長男)」といったように、苗字でなく屋号で互いを呼び合う慣習があることから採用したそうです。


取締役 会長 大橋正和さん

 

戦後間もなくから繊維業が盛んだった旧栃尾市。会長である正和さんも、もともと繊維業を営む企業で勤務していた一人でした。しかし、旧栃尾市を支えていた繊維業も、バブル崩壊や海外の安い人件費に押され次第に減少、衰退の一途を辿ることに。正和さんが勤めていた会社も、時代の変化に対応すべく「栃尾揚げ」を製造する食品部門を新たに立ち上げることになりました。正和さんは、そこから約30年間、油揚げ職人として技術を磨き続けました。
「自宅の冷蔵庫には油揚げが当たり前のように入っていて、夕ご飯前のおやつ代わりに食べていたんですよ」と幼少期から油揚げと共に過ごしてきた剛さんは言います。
やがて、軌道に乗った油揚げ製造業は、ついに「量産」へと方針が切り替わることになりました。
「あんなに油揚げにのめり込んでいた職人気質の父親が、もっとこうしよう、ああしよう、と口にしなくなってしまったんです」

正和さんが気掛かりだった剛さんがたどり着いたのは、親子で共に新しい油揚げ屋をつくること。こうして「あげ家 松兵衛」の創立プロジェクトが始動しました。


代表取締役 社長 大橋剛さん

 

しかしながら、感覚を研ぎ澄ましてきた「職人」と研究者気質の「経営者」という「ものづくり」に対するアプローチが真逆な二人。歩み寄るまでには、長い道のりがあったそうです。
「スムーズにいくわけがありません。まず、油揚げ屋をやること自体、反対されましたよ。でもそこは“ゴリ推し”でなんとか(笑)」と剛さん。
4期目を迎えた今だから語れるあんなことやこんなこと、ほろ苦い経験まで、包み隠さず語ってくださいました。

本当の「地産他消」をめざして

二人の「新しい栃尾揚げ」作りは原料の見直しから始まりました。油揚げが作りやすいといわれるのは外国産大豆。特に「厚み」が求められる「栃尾揚げ」は、高タンパクな外国産大豆を使用する方が油の中でふっくらと膨らみやすいそうです。
しかし、剛さんは自ら母校の研究室で、大豆ごとの「食味」試験や成分チェックを行い、その結果を父に示し、国産、さらには地元産大豆への切り替えを提案します。


現在使用している地元産大豆

 

外国産大豆で油揚げを製造してきた正和さんは「国産ではタンパク質が足りず、栃尾油揚げの厚みが出せる自信がない」と当然抵抗を示しましたが、剛さんは「地元産大豆」にこだわるべき理由を懇々と説得を続けたそうです。

剛さんが描く「安心安全」な油揚げは、誰が、どこで作ったか、が分かる原料を使っていること。特に、観光客が持ち帰る「土産品」、つまり地元を超えて、他の地域で消費される「地産他消」の「栃尾揚げ」に、新潟県産の原料を使われていないままで良いのだろうか?と疑問に思っていたそうです。
「地元の原料を使い、地元の産業を盛り上げることができる、本当の “地産他消”を目指そう」
こうして二人の想いはひとつに重なっていきました。

そこから、試作を繰り返しながら意見を交わし、豆を洗う水の温度、豆乳の煮方、にがりの種類まで、ひとつひとつを見直して、生み出された「謹製 栃尾あぶらあげ」。
「僕は実現不可能に思えることまで思いついて提案してしまうんですが、それを現場の作業レベルに落とし込んでくれるのが父なんです」
互いの「強み」が異なることを受け入れ尊重し合う親子だからこそたどり着いた最上級の油揚げには、実は、もうひとつ、大きな特徴があるのです。

松兵衛発、「穴」のない油揚げとは


串刺しにして油を切る様子

 

「謹製 栃尾あぶらあげ」のキャッチコピーは、“「穴」のない油揚げ”。
実は、大半の栃尾揚げには、小さな「穴」があいているのです。これは一体、何のための「穴」なのでしょうか。
油から引き揚げた油揚げは、省スペースのため、通常、数枚ずつ金属の串や紐を通して吊しながら油を切ります。そのため、油切り後の油揚げには「穴」が貫通しているのです。しかし、「あげ家 松兵衛」では、調理場に広いスペースを確保して、串刺しすることなく油切りを行っています。
「穴を無くすことで、風味のキープ、さらには、日持ちの確保に繋がるのです」
持ち帰って食べるお客さんの立場になり美味しさが少しでも長持ちする工夫を凝らしているのです。


揚げたてを串に刺すことなく油切り

「ものづくり」の土台は「現場」


ガラス越しに見学可能な揚げ場。この日は剛さんの妻、尚子さんが揚げ担当

 

「あげ家 松兵衛」の店舗では、製造ラインがガラス越しに見学可能になっています。生地作りの工程から揚げ場まで、大胆なまでにオープンにするのは、お客様に心から納得して商品を手に取ってもらうため。2度ほど現場を訪ねた私が印象的だったのは、従業員の皆さんが楽しそうに連携して働いている姿です。家族中心の経営は、関係性の近さから正直ギスギスしてしまうこともありがちですが、「あげ家 松兵衛」の店内には、従業員のひとりひとりの自己紹介が掲示してあります。実際に会話をする機会がない製造メンバーに対しても、つい親しみを持ってしまうユーモア溢れる内容でした。「良いものを作っている」ということだけでなく「個性豊かなメンバーが楽しく働いている」ということが伝わります。

「原料ももちろんですが、従業員が原点なんです。従業員が “ニコニコ”していないと、当然、良い商品は生まれないですよね。たとえ現場を見ていないお客様にも、現場の空気は商品を通して伝わるものなんです」
目指すのは、ひとりひとりが自ら考え行動したことを尊重し合う関係性。「ものづくり」の土台に、「現場作り」という考えがあることを改めて学びました。

伝統の「油揚げ」にも進化論を

「栃尾揚げ」の専門店がこれだけ密集しているだけに、他のお店をライバルとして意識することはあるのでしょうか。
「他のお店を出し抜きたい、なんて全く思っていないんですよ。それぞれの栃尾揚げ製造者が、“うちはこれが強みだ!”と、打ち出した方が、むしろ面白いんじゃないかと思っています」

この地区を油揚げで盛り上げてきた他店との共栄を望む剛さん。自社という範疇を越えて、地域について真剣に考えています。だからこそ、定番すぎて当たり前になりつつある「栃尾揚げ」の新しい魅力の創出と、その発信に関しては、誰よりも意欲的です。例えば、栃尾揚げの歴史から自社のこだわりまで情報が詰まった公式サイトでは、「謹製 栃尾あぶらあげ」のレシピ集を掲載しています。「油揚げのタルタル南蛮」「油揚げサンドイッチ」「油揚げのキャラメリゼ」など「油揚げでこんなものまで?」と驚きのレパートリーで、楽しい活用アイデアを発信しています。さらに、これらを直接お客さんに伝える料理教室や食育活動も積極的に行っています。
最近では「在来種」と呼ばれる地元に根付いた稀少大豆や高級な油を使用して、さらにプレミアムな油揚げも作っているのだとか。

「 “伝統”の継承はもちろん大切ですが、時代の変化への適応ができる者こそ生き残っていけるのだと思っています。これってダーウィンの進化論ですね(笑)」
丸一日想いの丈を語ってくださった剛さんに、油揚げに負けない “アツさ”を感じずにはいられませんでした。


言葉をひとつひとつ丁寧に選ぶ大橋剛社長

 

旅は続きます。

 

〈あげ家 松兵衛〉
〒940-0236 新潟県長岡市栃尾大野町4-4-10
TEL.0258-52-1000
営業時間:9:00~18:00
定休日:毎週火曜
工藤詩織 プロフィール

幼少から豆中心の食生活を送り、豆腐はその中心にあり、無類の豆腐好き。外国人に日本語を教える講師を目指して勉強している過程で食文化も一緒に伝えたい と「豆腐マイスター」を取得。国内だけにとどまらず海外でも、手作り豆腐ワークショップや食育イベントを実施して経験を積む。2018年より「往来(おうらい)」をテーマに本格的に活動を開始。豆腐関連のイベント企画・メディア出演などを通して、各地で豆腐文化の啓蒙活動を行っている。


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