豆腐の原料は、大豆・水・にがり。
シンプルだからこそ、繊細な手作業が仕上がりを大きく左右し、作る人の「人となり」や「考え」、その日の「気分」までも、鏡のように映し出すのだと、職人さんは言います。
だから豆腐の魅力は“十人豆色”(じゅうにんといろ)。
作り手の想いあふれる豆腐との出会いを求め、各地の豆腐屋さんを往き来し、見て、聞いて、味わって、感じ取ってきた豆腐の魅力を綴ります。
平日の朝、都心へ向かう人々の流れに逆らうように電車に揺られて南町田駅までやってきました。
町田街道から一本脇道に入り、車通りの少ない静かな道を進みます。歩くこと約20分、通りの向かいに淡いピンク色の建物が見えました。近づいてみると、窓には各商品の説明や豆腐やおからのレシピが貼られています。目的地にようやく到着できました。
決して、アクセスが良いとも、見つけやすいとも言えないこの豆腐屋さんの名前は「とことうふ」。
“トコトコ ”と通ってもらえるようなお店になるように、と、名付けられたと言います。
入り口から「おはようございます」と現れたのは、店主の山下治道(はるみち)さん。
葛飾区の豆腐店「気合豆腐 埼玉屋」の職人見習いとして3年修行をした末、2015年に自身の地元・町田で独立開業したのが「とことうふ」です。著者が山下さんと知り合ったのは、修行が終わる直前のことでした。
「今日はあと大豆が一釜分、残っています」と説明を受け、さっそく長靴に履き替えて豆腐づくりを見学させていただくことにしました。
開店時間まであと約1時間。
ラジオの流れる店内は、殺伐、とは正反対で、むしろまったりとした空気が流れています。
稼働中の豆乳の絞り機械を見ると、創業の5年前よりも古くから使われてきたように見えました。
「もともと豆腐屋さんだった建物を居抜きでお借りしたので、引き継いだものがほとんどです。初期費用がずいぶん抑えられて助かりました」と、山下さん。
この日最後の大豆を擦りつぶした「呉」と言われるペーストを蒸気釜に移し煮ていきます。蓋を締めて後は待つだけかと思いきや、山下さんは釜の前から離れることなくじっと中身を見つめ、一定の周期で「グルグル、グルグル」とかき混ぜはじめました。
「水を加える量が少なく蒸気も強く出していないので、熱がまんべんなく行き渡るようにこまめにかき混ぜています」
水分を減らした「呉」は重たく、自動では攪拌しづらくなります。そのため、機械任せにはできず、手作業による調整や目視による判断が欠かせません。「とことうふ」の豆腐づくりには、 “ショートカット” が見当たりません。
レギュラー商品として製造する豆腐は主に5種。濃厚まろやかなきぬ豆腐、大豆の味比べができるおぼろ豆腐2種、固さの異なるもめん豆腐が2種類。使用するのは各地の国産大豆で、配合もそれぞれの豆腐によって変えられています。他にも、クセのない米油で揚げた柔らかい油揚げや、菜種油で香ばしさをプラスした厚揚げ、すりおろした大和芋を混ぜて練られた大・小2サイズのがんもどき。豆乳は質感を調整した「さらり」と「とろり」を用意し、用途や好みに対応しています。
この日も午前3時半から製造を行なっていたという山下さん。きぬ・おぼろ豆腐の作業が落ち着き、もめん豆腐の成型作業が始まりました。
まずは、昔ながらの噛みごたえをしっかり感じる「木綿」。包丁で細かく崩した豆腐を、深めの型箱でしっかり決着させながら時間をかけて水分を切っていきます。後味があっさりした青森県産のオオスズ大豆を中心に複数大豆をブレンドし、味染みがよく普段使いにもぴったりな一丁です。
一方「上木綿」は、北海道産の音更大袖振大豆(おとふけおおそでふり)という甘みの強い品種を使用し、絹豆腐のようなふんわりとした上品な食感を残します。
「ボウズ」と言われる半球型の道具で薄いシート状にすくい、浅めの型箱に高さが均一になるように、丁寧に敷き詰めます。プレス機で圧を掛けながら、こまめに豆腐の高さを定規で測り、パックと同じ4cm程度の厚みになるまでじっくり脱水します。
なるほど、大豆の品種だけでなく成型方法を変えることで、対照的な2種のもめん豆腐が出来上がるのですね。
作業の合間、朝食休憩をとる山下さんに、豆腐職人になるまでの道のりを伺うことができました。
家業として豆腐屋を営む一族のもとに生まれたわけでも、幼い頃から豆腐職人を志していたわけでもない山下さん。実は、大学卒業後は沖縄で3年間ほど公務員として働いていたそうです。
退職後、ワーキングホリデーでオーストラリアに滞在し、日本に戻って日本語教師の資格を取得。そして再び海を渡り、今度はインドのバンガロールの日本語学校に就職します。
「インドの日本語学校の仕事は求人サイトで見つけたんです。食事も美味しくて、過ごしやすかったですよ」
丁寧に言葉を選ぶ山下さんのゆったりとした口調とは裏腹に、飛び出してきたのは予想外で興味深い経歴たち。なにより、ここまでのお話に「豆腐」の「と」の字さえ登場してきません(笑)
インドから帰国後、都内で再び日本語教師として働きながらも、その後の人生に対する模索が始まります。
「それまでは異文化に触れることが楽しかったんだと思いますが、帰国後は日本の内側にある伝統文化に対する関心が強くなりました」
漆、農業、様々なものに触れ関心を抱きながらも、最終的にたどり着いたのは「豆腐」という日本の食文化を支える食材でした。
「農家さんと関わってから味噌づくりも経験したんですが、そこから大豆に少しずつ親しみを持つようになって。近所の豆腐屋さんにも出むき、“豆腐職人”という仕事を意識するようになりました」
ちょうど職人見習いを募集していた「気合豆腐 埼玉屋」へ修行入りしたのは、2012年夏のことでした。
身の上話を伺ううちに、木綿豆腐の水切りが終わり、今度は豆腐をカットしてパック詰めをする作業に入ります。
型箱から冷水に解き放たれたお豆腐は、ずっしりとしているようでとても崩れやすく繊細に見えます。一丁分にカットされた豆腐を右手で優しく回転させながら、左手に持った容器に豆腐を迎い入れるように詰めていきます。
最後に再び目視で一丁一丁細部まで確認。深い息遣いで集中力を切らすことなく静かに豆腐を見つめていました。
表情や言葉にはハッキリと出さずとも、この日は納得のいく豆腐が出来上がったようです。
お店の営業中も製造は続き、道具や機械の清掃から翌日の準備まで、少しずつ作業を進行していきます。
「来店のタイミングによってはお客さんを待たせてしまうんですよね」と少し申し訳なさそうに話す山下さん。
それでもこの日に現れたのは、環境を配慮して買い物袋を持参するお客さんや、来店前に電話で在庫状況を確認してから買いに来るお客さん。決して山下さんを急かすことはありません。
山下さんの放つ穏やなオーラは、「とことうふ」に現れるお客さんへも伝播しているようです。
「まだまだ未熟さを感じながらも、目の前のお客さんが喜んでくださると“張り合い”がありますね。続けさせてもらえるなら続けていきたいです」
土地を変え、職業変え、トコトコと「まわり道」をして豆腐と出会った山下さんは、これからの豆腐の食文化を支える、頼もしい職人さんのひとりです。
旅は続きます。
幼少から豆中心の食生活を送り、豆腐はその中心にあり、無類の豆腐好き。外国人に日本語を教える講師を目指して勉強している過程で食文化も一緒に伝えたい と「豆腐マイスター」を取得。国内だけにとどまらず海外でも、手作り豆腐ワークショップや食育イベントを実施して経験を積む。2018年より「往来(おうらい)」をテーマに本格的に活動を開始。豆腐関連のイベント企画・メディア出演などを通して、各地で豆腐文化の啓蒙活動を行っている。
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