ニッポン全国、ヒトつながり。
vol.2「廣久葛本舗 十代目 高木久助さんとあさくら観光協会 里川径一さん」・後編

日本百貨店の鈴木です。前編では朝倉・東峰地域との出会いと訪問記を書きました。
後編は、視察当日、一番印象に残った「本葛」職人のお話を。

伺いましたのは城下町 秋月にあります、創業文政二年、廣久葛本舗 十代 高木久助さんのお店。
表がお店(販売所)、裏が製造所になっていて、見るからにムカシナガラの建物。

私自身が食に関して、特に健康に気を使ったものにこだわるでもなく、精進料理にくわしいわけでもなく、葛といえばぬるぬるした感じ、葛湯って熱いよね程度の認識しかありませんでした。寒い季節になりますと当社でもインスタントの葛湯を販売しますが、季節品として必要だから置いているのですが、特に力を入れて販売しているわけでもありません。

「まぁどうぞ、座ってください。」コワモテの当代に言われ座らせてもらいましたが、なんとなくの緊張感。いつも明るいみっちぃもどこか強張った表情。むむっ。ひょっとしてお堅い人なのかな?世間話の延長で少しずつ葛の話を聞いていると、ん?ふと目に入った本が3冊。藤井まり先生の本です。
す「藤井さんの本売られてるんですね?」
久「ええ、先生と交流ありまして(ぶっきらぼう)」
す「僕の秋葉原のお店、藤井先生の娘さんの店の隣なんですよ!」
久「えー!こまき食堂ですか!あそこでワークショップやったんですよこないだ!(にこにこ)」この会話をきっかけにお互い緊張が解けたのか、出るわ出るわ久助さんの口からたくさんの逸話が。ミッチーもいつの間にかいつもの笑顔。
柱についている刀傷の話。葛の歴史。葛の原料産地の話。やはり養子もなく十代も続いている名家、口伝や書物など、様々な形で様々なことが語り継がれている。その中でオモシロ話を一つ。


みっちぃと十代目 高木久助さん

 

初代久助の弟さんのお話し。長崎で蘭学を学び、お医者さんとして活躍。当代の殿様の主治医となるほど優秀だったのですが、殿様の側室に手を出して追放。行くところもないので北前船で北海道に向かったところ、船中で刀傷を負った患者さんを治療。感謝した患者さんが、うちの村には医者がいないからぜひ来てくれと青森で途中下船。ここまでの話は昔から伝えられていた、“そうらしい”というお話。

ある日十代目のところに、東京から一人の男性が訪ねていらした。「久助さんの家紋(隅切り押切重扇)をテレビで見たのだが、自分の家紋と一緒だ。他には絶対見られない家紋なんだか、ひょっとして繋がりがあるのではないか?」いろいろ聞いてみると、その男性のルーツは青森。これはひょっとしてと、初代の弟の話をすると、「それだ!」それに近い話が、その男性のおうちでも受け継がれてきたそう。

おお、では親戚じゃないか!と十代目が喜んだところ、その男性は「いや、証拠がほしい。」いいじゃないか証拠なんて、そう思った十代目ですが、その男性は執拗に証拠を求める。実はこの男性、あの著名な推理小説家、高木彬光(あきみつ)さん。職業柄、突き詰めないとならない性分のようです。証拠と言ってもな…そう思いつつ高木彬光さんの持ってきたたくさんの資料を拝見していると、九代目が見つけたのが、“お墓の戒名”。この戒名どっかで見たことある…そうして九代目が過去の資料をあさると、あったあった!この戒名。確かに初代弟として、青森で没するとの記載がある!ここで初めて彬光さんが、「よかった、ほっとした!」


店内に残る柱の刀傷や“御献上”の文字が残る看板

 

この話のすごいところは、側室に手を出す高木家の恐るべしDNAでも彬光さんの探求心でもなく(それぞれすごいんですが)、何よりも“十代の資料が残っている”ということ。私なんて自分の家の家紋すらおぼつかないのですが、秋月という歴史ある地ひと所(ところ)で本葛を二百年にもわたり作り続けてきたという相伝の技とともに、たくさんの歴史が受け継がれているのです。

久助さんの葛は“本葛”。葛粉として一般に売られているものはじゃがいも、さつまいもなどのでんぷんを混ぜたもので、“ほとんどでんぷん”。また並葛と言われるものは100%さつまいもでんぷん(甘藷澱粉)。まじりっけなしの100%の本葛を作り続けているのは久助さん入れて商業的には三軒だけ。(おもしろいのは、でんぷんなどと混合されていても、業界的に“本葛”と呼ぶこともあるそう。法律の規制がない分野なのだそうです。)その中でも昔ながらの製法で手間暇かけて作り続けているのは久助さんだけ。工程はようこんなことするなと思うほど、面倒。日本酒は原料から絞り出した水分を使うが、葛は原料から絞り出した残物を使う、という差はあれど、どちらも昔の人は良く思いつきましたね。

葛(木)の根っこ繊維状に粉砕し、真水で根に含まれている澱粉を絞る。その汁をなんどもなんども水分を入れ替えて澱粉を沈殿させる作業を繰り返す。(不純物をとる)そしてその澱粉から水分を完全に抜いたものを、ある程度の大きさに切って、独特のにおいを抜き、粘りを出すために一年間じっくり寝かす。

100キロの根(原料)から、7-10キロしかできないのが本葛。一年かけて(一年間お金を寝かせて)出来上がる、非常に効率の悪い商品です。イソフラボンが豊富で、解熱、発汗作用などもあり葛根湯など薬としても重用されています。健康食品という認識も強いですが、なんといってもその本葛のなめらかさ、のどごしの良さを体感してしまうと、「おいしさ」に魅了されます。

葛の美味しさを一番感じられたのが、“葛麺”です。見た目はそうめん。私が購入したのは乾麺ですが、そうめんと同じように湯がいて、だし醤油でいただきました。臭みはなく、口の中でとろけるような葛独特の食感。もちもちそうめんと言って売り出したらすごく売れそうですが、なんといっても単価は高い。そうめんと並ぶと値段が際立ってしまう。店舗でお客様に購入してもらうには、本葛の歴史や製造過程、健康面での特徴など、きちんと対面で説明して、そのうえで味わってもらうことが必要だと感じました。ゴマ豆腐や葛餅なども本葛で作ってもらいたい。うちの居酒屋の料理長にはお土産に本葛のブロックを買いました。

古くからの街並みと雄大な自然。災害復興に向けて熱い気持ちを持ち、活動を続けながら、災害前と変わらず伝統を継承していく作り手の姿。変わるものと変わらないもの。変えていくべきものと変えてはいけないもの。

粕谷さん、みっちぃが繋いでくれたたくさんの人繋がりが、この土地と日本百貨店のかかわりを、深く長いものにしてくれると確信しました。

鈴木正晴さん プロフィール

株式会社日本百貨店 代表取締役社長
日本百貨店 ディレクター兼バイヤー
群馬県桐生市 PR大使

1975年神奈川県生まれ。1997年東京大学教育学部卒業後、伊藤忠商事㈱に入社。アパレル関連の部門で、素材、生産から小売部門まで幅広く担当。その後、ブランドマーケティング事業部にて、各種国内外のブランディングの仕事に携わる。海外とのやり取りを日々行う中で、逆に日本国内の商品および文化の価値を再認識。国内の“モノづくり”文化に根差したすぐれものをより広いマーケットに広める一助となりたいと考え、2006年3月伊藤忠商事を退社。同年4月に株式会社コンタンを立ち上げ、made in JAPAN商品の海外輸出、国内外のブランドのブランディング業務を行う。 2010年12月には東京・御徒町に、「日本百貨店」をオープン。2013年9月に吉祥寺、2014年3月にたまぷらーざ、同年7月に池袋、2016年3月に横浜赤レンガ倉庫に出店。また2013年6月には食品専門の「しょくひんかん」を秋葉原にオープン。食・雑貨・衣料雑貨など、全国から様々なこだわりの商材を集め、作り手と使い手の出会いの場を創出し続ける。 直営店7店舗に加え、店舗コンセプトのプランニングや出店サポートの業務や、全国各地の小売店に“日本のスグレモノ”の卸販売も行う。著書に「日本百貨店」(飛鳥新社)、「ものづくり『おもいやり』マーケティング」(実業之日本社)がある。