ニッポン全国、ヒトつながり。
最終回「東京・京橋 会員制のカレー屋さん?」

日本百貨店の鈴木です。

人繋がりがあればこそ、一つながりにつながっていくご縁。最終回となる6回目は、日本百貨店がどうやって人と出会い、その縁を繋げ、また新しい縁へと広げていっているのか。最近のたまたまの出会いからわたしのみならず関わったスタッフ全員がファンになり、いつか日本百貨店で販売を開始したいと心に誓った、とびっきりの「カレー」についてのお話し。

前回ご紹介しました「日本百貨店さかば」。東京駅八重洲口から徒歩5分にございます日本百貨店が運営しております居酒屋で、連携しております静岡県西伊豆町・香川県丸亀市をはじめ、全国の、日本百貨店の視点で発掘した「これぞ」の【食材】や【ヒト】を発信する場所になっています。前回は毎週土曜日に行って居ります地域盛り上げイベント「日本百貨店どようび」のお話しをしましたが、どようびに勝るとも劣らないマニアックな人気を誇るのが、日本百貨店流異業種交流会、「つながる。日本百貨店」です。

日本百貨店に縁のある方々=ニッポンヒャッカテンフレンズが、“この人こそ!”フレンズに加えたい!という人を連れてきて、2か月に一回集まる大人の交流会です。交流会と言っても名刺交換会のようなオトナの事情の塊の会ではなく、みんな和気あいあい、仲良くなるならなろうぜというゆるい会です。ほんとに友達になり会の後に有楽町の高架下に消えていく方々や、後日がっちりお仕事をされる方々も。自然なつながりを作る会として、2019年1月23日で早7回目を迎えます!

とある知人が連れてきてくださったのが、荘司さん。私が受付をしていたのですが、名刺に大きな文字で会社名、“大魔人”、と書いてあります。ぬぬっ。怪しい。笑 怪しい人が入り込まないようにチェックするのもホストである私の大事な仕事です。何食わぬ顔をして荘司さんに近づいて、さりげなく会話をしようとすると。。。「僕怪しいものではありません」おっと、バレマシタカ。はい、疑ってかかりました。
その後打ち解けましていつものようにワイワイと時は過ぎ、解散の時間。荘司さん、またいらしてください!ご挨拶をすると、「鈴木さん、是非食べてもらいたいものがあるんです。今度もってきます!」酩酊気味の荘司さんが夜の街に消えるのを見届けて、帰り支度を始めました。

次の「つながる。」でした。
荘司さんが約束通り、タッパーを何個か抱えてきてくれました。「鈴木さん、これ知り合いがやってるんです、是非食べてもらいたい!」ですが、つながる。の会の最中は何も食べない何も飲まない(ホストに徹する)と決めておりますもので、せっかくだから皆さんに出してもよいですかと聞いてみると、ヒトのいい荘司さん、「もちろん、そのつもりで持ってきてます!そのままレンチンして出してください」ちょうど宮崎のオイシイお米もふるまっていましたので、さっそくあっためて皆様に。。。いい香り。うわっ!なんだっ!どうしたこれっ!会場の様々な場所から酔っ払いの悲鳴が聞こえてきました。「鈴木さんこれなんですかっ!!!!」いや僕が知りたいですわ。食ってもないですし。
どうやらうまいらしい。食べたい。でも食べれない。料理長にお願いして少し分けてもらい、持って帰って冷凍にしておきました。

それから数週間、実はうっかり忘れていたのですが、ある日猛烈におなかが減りまして、冷凍庫をあさっていると見たことのあるタッパーが。これはっ!カレーじゃないかっ!トキエカレーと書いてある。誰かのお母さんの名前かしら。まあそんなことはともかく今は胃袋を満たすことが先。荘司さん、いただきます!
。。。何とも言えない香り。香辛料のここちよい刺激で、口に入れる前から発汗。一口食べてみると、自然に染み渡る、まるで信州みそのような懐かしい感覚(味噌味ではありません)。そして舌の上に残る素材感。これ、タダモノじゃない。何だろう。京橋屋カレーと書いてあります。ネットで調べ物をするのが大嫌いな鈴木は、すぐに荘司さんにメール。

「荘司さん、大変!これオイシイ!!!すいません忘れてて、今食ってます!!!」

すると荘司さん、「ああ、それはよかった」

ん?
だいたい鈴木に何かを食わしてくれる方は、鈴木のことが好きなわけではなく、おなか減ってそうでかわいそうだなと思ったわけでもなく、「日本百貨店で売ってくれないかなー?」という思惑の方が多いのですが(それでもかまいませんので食わしてください!)、どうも荘司さんは違うみたい。「それはよかった、じゃあ是非日本百貨店さんでも売ってください」そんなセリフを待ってしまったイヤラシイ自分に自己嫌悪。

聞いてみると、以前お仕事を一緒にされていたアートディレクターさん(飯島さん)が食べ物を安心して食べられる店が無かったことから、自分の身体にもヒトの身体にも優しいものをということで作り始めた無添加カレーとのこと。便利と売り上げを優先するのではなく、すべてのメニューが無添加の店が東京のど真ん中に一つくらいあってもいいのではないかと、共感してくれるお客様に、ご自身が手作りできる分だけ提供していこう。そう考えてご夫婦で東京・京橋でお店をやっているけども、なんとたくさんの人に食べてもらわないと採算が取れないはずのカレー屋さんで会員制にしていると(注:テイクアウトは非会員さんでもokです。数量限定)。
それはもう、それだけ味に自信があるんだろうなと思ったら、理由はさにあらず。もちろん味は自他ともに認めるし素材選びから調理まで、ここまで手間をかけているカレーはないと自負しているけども、だからといってもったいぶって会員制にしているのではなくて、その理由は、ご主人が化学物質過敏症で、例えばタバコを吸う方や、身の回りでつねにタバコを吸う人のそばにいる人に近づくと、それだけでも身体中に痛みが襲ってきてしまう。商売との天秤で泣く泣く会員制にしているのだと。荘司さん、そんなこと聞いたらお会いしたくなっちゃうじゃないですか!会員じゃないけど是非お会いさせてください!
ダメ元でお願いしてみたら、奇跡的に飯島ご夫妻がお時間を割いてくれることに。今後の自分たちの方向性を考えていたところで、新しい人に会ってお話を聞いてみたいとおっしゃってくださったそうです。荘司さんに連れられ、我らが蓑島店長(日本百貨店しょくひんかん/食通)といざ京橋へ!

トキエカレー。鶏、キャベツ、海老で、と、き、え。

 

辛口伊達鶏カレー。

 

キーマカレー。

 

お客さんとしてカレーを食し、おいしいのはアタリマエですが、一つ一つの心遣いに感動しつつ(例えば。食後にテキーラを飲むようなショットグラスに少しだけ、きんきんに冷えた紅茶が出てきました。奥様が一言、“今日はアールグレイを入れてみました”。口の中にさっと広がる芳香でさわやかな気分に。夢中でカレーにかじりついた後で、ほっとした気分になりました。きちんと食べる人のことを思いやった、ナイスサービスだと思います!さっそく真似したいと思います笑)瞬殺で完食。蓑島を連れてきた訳は、もちろんあわよくば、テイクアウトで販売されているカレーを、当社のしょくひんかんで販売させてもらいたいから。。。

その日はお忙しそうだったので後日改めてお時間を頂戴し、様々なお話をさせていただきました。もっとこうしたら売れるんじゃないか、いや京橋屋のカレーはこうあるべきじゃないか?日本百貨店でも売らしてくださいよ!もちろんそのお願いも忘れずにしました。なんやかやと白熱した時間だったのですが、結果として、当社での扱いはスタートしていません。飯島さんの、「今の体制で広げると、クオリティが下がって会員の皆様にご迷惑をかけることがあるかもしれない。日本百貨店さんにも満足したものが提供できないかもしれない」。職人肌ですね!鈴木はついつい、面白い話があると飛びついちゃうほうなので、こういう考えができる方々を心から尊敬してしまいます。現時点でのご夫婦のご決断を私たちも尊重し、いつか扱わせてもらえるよう、お互いの状況が整うことを夢見て、それまではせっせとテイクアウトのカレーを食べ続けようかなと考えています。先日、飯島さんの奥様を日本百貨店しょくひんかんで発見しました。飯島さんたちも、当社での取り扱いを真剣にお考えいただいているようです。生産量やご主人の体調のことも含め、課題はありますが、いつか実現させましょうね。

イイジマ夫妻

 

日本百貨店はいつも、ヒト繋がりでご縁をつなげ、商売にも生かしてまいりました。ただ、一番大切なヒトとのご縁を、無理につなげ、無理に広げて、商売にしていくようなことは一切していません。お互い無理なく。お互いハッピーになるように。商売の大原則である「三方よし」。せっかく故あって出会ったヒトとのご縁、目の前の商売だけではなく、一生の宝物として大切にしていきたい。この感覚は今後もずっと忘れずに守っていきたいと思いますし、後輩たちにも伝えていきたいと思っています。
半年以上、私のつたない文章、身勝手な独り言のような連載にお付き合いいただいて、本当にありがとうございました。自身でも、様々な方々とのご縁を思い起こし、身を引き締めるいい機会をいただけたと感じております。機会をくださったみなさま、読んだよーと連絡をくださった方々、勝手に登場させられて苦笑いされているみんな。これからもどうぞヒトつながり、よろしくお願いいたします。

鈴木正晴さん プロフィール

株式会社日本百貨店 代表取締役社長
日本百貨店 ディレクター兼バイヤー
群馬県桐生市 PR大使

1975年神奈川県生まれ。1997年東京大学教育学部卒業後、伊藤忠商事㈱に入社。アパレル関連の部門で、素材、生産から小売部門まで幅広く担当。その後、ブランドマーケティング事業部にて、各種国内外のブランディングの仕事に携わる。海外とのやり取りを日々行う中で、逆に日本国内の商品および文化の価値を再認識。国内の“モノづくり”文化に根差したすぐれものをより広いマーケットに広める一助となりたいと考え、2006年3月伊藤忠商事を退社。同年4月に株式会社コンタンを立ち上げ、made in JAPAN商品の海外輸出、国内外のブランドのブランディング業務を行う。 2010年12月には東京・御徒町に、「日本百貨店」をオープン。2013年9月に吉祥寺、2014年3月にたまぷらーざ、同年7月に池袋、2016年3月に横浜赤レンガ倉庫に出店。また2013年6月には食品専門の「しょくひんかん」を秋葉原にオープン。食・雑貨・衣料雑貨など、全国から様々なこだわりの商材を集め、作り手と使い手の出会いの場を創出し続ける。 直営店7店舗に加え、店舗コンセプトのプランニングや出店サポートの業務や、全国各地の小売店に“日本のスグレモノ”の卸販売も行う。著書に「日本百貨店」(飛鳥新社)、「ものづくり『おもいやり』マーケティング」(実業之日本社)がある。