うまい、楽しい、美しい!高知umami探訪・後編

今回のお伝えするのは、柚子と日曜市の、切っても切り離せない関係。
その影には、あの坂本龍馬と共に幕末の土佐を駆け抜けた、ある一人の武士の存在があったのでした。

土佐人の台所の必需品「ゆのす」を求めて日曜市へ

取材に訪れたのは11月、高知ではまさに柚子のシーズン真っ盛り。
高知城へと続く追手筋(おうてすじ)で毎週開かれている日曜市。
1.3kmに渡って400もの屋台が続く街路市を見て回っていると、たくさんの柚子が出回っているのを見つけました。
高知の柚子は全国の収穫量の40%を占めると言われていて、まさにこの土地の一大産業。日曜市のそこここでも、柚子の爽やかな香りが広がっています。

思わず足を止めて、甘酸っぱい香りを肺にいっぱい吸い込んでいると、屋台の生産者さんから声をかけられました。
「あんた、柚子の実もえいけど、高知に来たらゆのすを買うていきや!」
ゆのす?一体、「ゆのす」とはなんでしょう?聞くと土佐人の食卓には欠かすことのできない調味料のようです。
「ゆのすがなかったら、土佐の料理は始まらんきね!」
そんなことを聞いたら、umami探索隊としていてもたってもいられません。
土佐のうまみの素、必ずしやこの手中に入れてみせましょう!

「ゆのすは、あそこのお店に売りゆうきね!」
と案内された先にあったのは、大中小、様々な大きさの瓶が山積みされた屋台でした。
瓶の中にはパステルイエローの黄色がかわいらしい液体が入っています。
「これがゆのす。柚子の絞り汁ね」

柚子の酢と書いてゆのす。いろいろな大きさの瓶が所狭しと並んでいました

私たちの身近では、柚子はきれいな黄色や風味を活かすために外皮がよく使われるイメージがありますが、高知県で使うのは皮だけにとどまりません。種、皮、果汁、余すことなく使い切るそうです。
特に柚子の果汁は「柚之酢(ゆのす)」と呼ばれ、土佐の家庭では一家に一本は常備されているという必須アイテム。その使い方は無尽蔵で、お酢の代わりに酢の物に入れたり、お酒で割ったり、醤油と混ぜてポン酢にしたり、お菓子作りに使ったり。高知の名品として知られる鰹のたたきですが、土佐人は鰹のたたきにもゆのすをかけて食べるのだとか。
日曜市でも、様々な商品に柚子が使われているのを見つけました。これぞ、土佐の味を司る、高知のうまみ食品です。

ゆのすを砂糖水で割ったゆずジュース

日曜市で人気の田舎寿司。こんにゃく、たけのこ、椎茸など、山でとれた食材のみを使ってつくられるお寿司。お酢の代わりにゆのすを使って酢飯が作られるのですが、柚子の風味と食材の相性がぴったりで絶品なのです!

「うちでは焼いた椎茸にゆのすをかけたりするねえ!」生産者さんに直接おすすめの食べ方を聞くことができるのも日曜市の楽しみの1つです

高知に柚子を広めた一人の武士

今では高知の一大産業となっている柚子ですが、その隆盛の影には、一人の幕末志士の先見の明がありました。
「栗3年、柿8年、柚子の大バカ18年」ということわざにもあるように、柚子は植えてから実をつけるまでの時間が長く、元々農民には好まれない果物でした。
そんな柚子の栽培を推奨し、今に至る柚子産業の礎を築いたのが、坂本龍馬と共に薩長同盟の締結に奔走した中岡慎太郎です。

高知駅前にある幕末藩士3像。手前が中岡慎太郎像、中心は坂本龍馬像、最奧は武市半平太像

現在の高知県北川村で生まれた中岡慎太郎は、幼い頃からその秀才っぷりは知られるところで、4歳から寺で勉強を始め、14歳の頃には塾で先生の代役を務めるほどだったそう。
その中岡慎太郎の生まれ故郷を襲ったのが、安政の大地震です。
マグニチュード8を超えるこの大地震によって、北川村の周辺は大きな被害を受けることとなりました。
山林は崩れ、川は堰が溢れ、家屋は倒壊。
田畑を失った村人は、木の根をかじって飢えを凌がねばならないほどに生活が困窮しました。
村の被害の様子を見て回った中岡慎太郎が直面したのは、災害が起きて飢餓になると、この山の中では村人が塩を買うことさえできず、生活に欠かせない味噌や醤油も作れないという厳しい現実でした。

村の復興に尽力する彼が目をつけたのが、北川村に自生をしていた柚子です。
柚子は防腐効果や塩代わりの調味料としての役割を果たすことに加え、家の裏や山裾といった日の当たりにくい場所でも育てることができるからです。
中岡慎太郎は、村人に柚子を植えることを推奨。
彼の教えの下、北川村、そして高知中で少しずつ、柚子の生産が増えていきました。
今では北川村の柚子の生産量は高知県内でもトップ、つまりは全国一の柚子の産地です。

中岡慎太郎は、坂本龍馬と共に「近江屋事件」で襲撃を受けてその命を終えますが、彼が柚子に見出した先見の明は今も高知県を支えているのでした。

北川村に今も残る、中岡慎太郎の生家と生家に続く道。生家のすぐ近くには柚子畑が広がっていました。

土佐の熱い歴史に触れられるニュースポットが誕生

土佐藩が推奨した「日曜市」。
そして、土佐藩に所属した中岡慎太郎が見初めた「柚子」。
今、日曜市でわたしたちが高知のうまみ・柚子を堪能できるのは、高知の脈々とした歴史があるからこそなのですね。

そんな高知県の歴史を楽しみながら学ぶことのできるスポットが、この2017年新しく誕生しました。
それが「高知城歴史博物館」。
場所は高知城のお膝元、日曜市の舞台ともなる追手筋の東起点です。
高知城の真向かいで、新しさの中に伝統の技が光る建物が、その存在感を放っています。

エントランスの壁のアクセントとして使われているのは土佐刃物でつくられた装飾。細かなところにも匠の技が光ります。

高知城歴史博物館の中に入ってみると、広く開放的な空間と、洗練されたデザインが醸し出す雰囲気に思わず息が漏れます。
国宝や重要文化財を含む約6万7千点におよぶ貴重な資料を収蔵・展示する博物館機能に加えて、高知の観光情報も提供するこの施設。
中では観光客が情報を集めている姿はもちろん、地元のおじいさんおばあさんが喫茶スペースでくつろぐ姿や、学校帰りの小学生が歴史ビデオを見る様子、高校生が歴史の課題をする微笑ましい姿も見られました。
1階は老若男女問わず人々が交わる、コミュニティスペースとしての役割も担っているようです。

階段を上ると、展示スペースが始まります。
1階の和やかな雰囲気とは変わって、静かで凛とした空気に包まれます。

壁に使われているのは土佐ひのき。防音シートと組み合わせることで吸音性を高め、静かで心地のよい空間を作り出しています。

博物館の3階は、ガラス越しに高知城を臨むことのできる絶景スポットでもあります。日本で唯一、天守と追手門がともに現存する高知城の姿を写真におさめることができます。

映像、メディア機器などで、大人から子どもまで楽しみながら歴史を学ぶことができる展示がされています。2ヶ月に1度の頻度で変わる企画展も通い詰めたくなる要素の1つ。

2017 年は大政奉還から150年、そして2018年は明治維新から150年。
その時代を生きた土佐藩の坂本龍馬、中岡慎太郎、ジョン万次郎、岩崎彌太郎など、歴史に欠くことのできない高知の偉人の存在があって、私たちが生きる今に至ります。
高知県では、当時に思いを馳せ、彼らを育んだ時代につながる土佐の風土・文化・食・自然などを知ってもらうためのイベントとして「志国高知 幕末維新博」が開かれています。
メイン会場となる高知城歴史博物館だけでなく、県内全域の24カ所の偉人ゆかりの地で、様々な催しが開催中です。
地のうまみに舌鼓を打って、歴史に胸打たれて。
あなたの五感を刺激する、すてきな旅がきっと高知にありますよ。

高知城歴史博物館
住所:〒780-0842 高知県高知市追手筋2-7-5
開館時間:2019年3月31日までは無休 9:00〜18:00(日曜日は8:00~18:00)
HP: http://www.kochi-johaku.jp/