日本・うまみの作り手探訪
vol.3 大和高原のお茶から学ぶ“人と自然が調和する方法”

鉄道会社で地域の特産品を扱うプロジェクトに携わる寺田菜々美さんが、日本各地を訪ね、そこで出会った日本の伝統食材や郷土食などの“美味しいもの”はもちろん、その土地を愛し、新たなことにも挑戦しようとする“作り手さん”の情熱や商品に込めた想いを伝えます。

 

新茶が出回る季節ですね。
奈良時代に日本に伝わってから、歴史とともに日本人の精神性や文化にも深く影響を与えてきた「お茶」。

喫茶文化発祥の地とも言われる古都・奈良で、耕作放棄された土地を利用して自然栽培のお茶を作っている方がいると聞き、早速、訪ねてきました。

その名も「健一自然農園」。
代表の伊川健一さんは、「人と自然が調和した世界」を実現したいと、お茶の世界一筋に、文化や観光、環境など様々な切り口からお茶の無限の可能性を提案し続けています。

集合は、JR奈良駅、そこから車で20分。
鹿がゆっくりと歩きまわる奈良公園を通り抜け、奈良盆地の東側、大和高原にある健一さんの農園に向かいます。

多様性の畑と自然栽培

長野育ちの私は、お茶畑を見るのは初めて。
風が良く通り抜ける高原の斜面には、規則正しく並んだお茶の木がどこまでも広がっています。茶畑って、こんなに奥行きがあるものなんですね。

「奈良が初めての皆さんには、まずはこの茶畑を見てもらいなと思っています。」と健一さん。

茶畑の先に見える奈良盆地がとても美しいです。

さて、自然栽培とは、そもそもどのような栽培方法なのでしょうか。

「自然栽培といっても実践者によって考え方は様々です。簡単に説明すると、農作物を育てるのに、殺虫剤や化学肥料はもちろん、有機農業で使われる有機肥料もほとんど使わずに、ありのままの植物と大地の力を活かして農作物を育てると言う栽培方法のことを言います」

植物やその土地の土壌が本来持つ自然の力を人間が見極め、少し力も貸してあげることで、畑の環境のバランスが整ってくるそうです。そうすると、害虫も雑草も農作物の生育の邪魔になるほど発生しなくなるのだとか。

「僕の畑では、農薬や肥料は使わずにお茶を栽培できています。慣行栽培では、窒素肥料を使うことで、お茶の木は栄養成長ばかりにかたより、花を咲かせることもありませんが、僕の畑では、普通の野生の植物が繁殖をするように、花も実もたくさん付きます。雑草についても、それぞれの個性を見極めて、種類ごとに刈り方を変えています。」

なるほど、だから健一さんの畑では「害虫」とされる生き物も、「雑草」と嫌われる植物も、慣行栽培ではなかなか見ることができない「お茶の花」も、畑の中で共存しているのですね。

確かに、健一さんの畑をよく観察してみると、カマキリ、蜘蛛、蜂、バッタ、イナゴ・・・たくさんの生き物たちが、思い思いに居心地よさそうに過ごしています。

お茶の木の真っ白で可憐なお花も印象的です。

この生き物がたくさんいる多様性が自然栽培の特徴であり、健一さんが言うところの「調和」の証なんですね。

自然栽培にかける思い

健一さんが自然栽培を知ったのは、15歳の時に自然農法の大家、故・福岡正信氏の番組を見たことがきっかけ。当時、地球環境問題がメディアで多く取り上げられていた時期で、自分に何かできることはないのかと考えている最中の出会いだったそう。

「福岡氏の、単身でも地球環境の現状に懸命に向き合う姿を拝見し、僕が進むべき道はこれだと思いました」

奈良県内の進学校に入学をしましたが、高校1年生の春には自宅の裏に畑を借りて野菜づくりを始め、高校卒業と同時に奈良県内で茶畑を借りて、就農されたのだとか。

就農をすると言っても、実家が農家だったわけではなく、最初に貸してもらえたのは15年間手付かずだったまるでジャングルのような耕作放棄地。
当初、野生化した茶畑の中には、入っていくのさえ困難で、朝から晩まで畑に入り土と汗にまみれ開墾を続ける毎日。疲れてそのまま畑で眠り込んでしまったこともあったそうです。

それでも、”人と自然が調和した世界”の実現を胸に、一直線に突き進んできました。

現在、日本国内には富山県と同じくらいの面積の耕作放棄地があると言われており、そのうち、耕作放棄された茶畑は、約1万ヘクタールもあるそうです。

「他の耕作放棄地と違って、お茶の耕作放棄地のいいところは、お茶の木が野生に戻っているため、大きく伸びた木からは三年晩茶と呼ばれる体を温める効能がある貴重なお茶が収穫できることです。更に、これを冬に刈り取って焙煎することで、農作業のない冬場も雇用の確保ができるようになりました」

普通なら敬遠される耕作放棄地も、健一さんの手にかかれば宝の山になってしまうようです。

そんなお茶と自然栽培に対するひたむきな思いと働きぶりが周囲の信頼を集め、健一さんの元には、自分の畑を預けたいという話が多く舞い込んで来るようになります。耕作放棄地から始まった健一自然農園は、今では奈良県でも有数の茶生産量を誇るまでになりました。最近では、県外の茶農家や自治体からアドバイザーとしてオファーを受けることも多くなってきたそうです。

お茶摘みと製茶体験

今回、健一さんの熱い思いがあふれるこの茶畑で製茶体験をさせてもらうことができました。

ペットボトルで手軽にお茶が飲めるようになっている現在では、茶葉そのものはもちろん、その生産現場を見る機会はなかなかありません。

葉の摘み方は、「一芯二葉(いっしんによう)」。
ひとつの若芽と二枚の葉を摘み取るという意味で、お茶の木のこの部分が茶葉になります。

更に、「♪あらよーいしょー」という掛け声が印象的な、
この地域で唄われている「大和茶摘み唄」を習いました。
全国的には、「♪夏も近づく八十八夜~」が有名ですが、京都や静岡など日本の茶の名産地には地域ごと独自の茶摘み唄があるとのこと。

そして、新茶の時期は、茶摘みの全盛期。昔は、近隣の街からも人が集まり、総出で作業が行われたため、茶園は絶好の男女の出逢いの場でもあったそう。健一さんが畑を譲り受けた後も、畑の様子を見にきてくれるおばあちゃん方は、頬を赤らめながらそんな思い出話をポツリポツリと話してくれるのだそうです。

昔から人々の生活の軸となり文化を形成していたお茶、面白いですね。

さて、茶葉を摘んだら、いよいよ、製茶作業。
今回作るのは「釜炒り茶」。読んでその通り、この大きな釜を使って作るお茶です。

まずは、摘んだ茶葉を乾かして、熱した釜で茶葉を炒ります。

茶葉がしんなりしてきたら、茶漉し布巾で茶葉にひねりを加えて、

水分をさらに絞りとり、もう一度釜でよく炒れば、完成。

みんなで摘み取った茶葉が、香り高いお茶になりました。

健一さんとお茶のこれから

普段、何気なく飲んでいるお茶もこうして作られていると思うと感動もひと塩です。
自分たちで作った釜炒り茶は、香ばしくて優しい味わいでした。

「自然栽培のお茶の特徴は、同じお茶の木を使っていても、その土地の味が出ると言うことです。一番茶、二番茶、など茶葉を収穫するシーズンによってお茶のうま味や身体への効能に違いがあることも最近わかってきました」

世間一般では初夏に収穫される一番茶が最高とされているため、それ以外の時期に収穫されたお茶にはほとんど価値が置かれてきませんでした。

また、関西では「宇治産」のお茶が重宝されるため、奈良産のお茶の多くは京都で最終加工されて出荷されます。

宇治茶の香りや喉ごしを支える原料を作る下請けとして推移してきたため、産地はブランド化されず、特に茶畑の耕作放棄が早くから進行していきました。

「この土地でお茶の自然栽培を始めて20年近く経とうとしています。最近では、色々な方とのご縁に恵まれて、企業さんと一緒に商品開発をしたり、グリーンツーリズムの場として茶畑を活用していただいたり、福祉法人の皆さんに茶摘みの作業を手伝ってもらったりしています」

大和高原の荒れ果てた茶畑から始まった取り組みは、今や農業だけに留まらず、観光や教育、福祉業界とのつながりをもちながら、躍進を続けています。
さらに、こうした農業と様々な業界とのコラボレーションを事例にして、農業やお茶の無限の可能性を日本全国に広げていきたいと、健一さんは語ります。

そして、お茶を切り口に環境問題のみならず、様々な社会の課題とも向き合おうとしている健一さん。自然栽培のお茶のように穏やかだけど熱のこもった語り口で、日本のこと環境のこと地球のこと、教えてもらいました。

「人と自然が調和した世界」、一直線に実践を積んできたからこそ、ひとつひとつの言葉に説得力がありました。

健一さん、どうもありがとうございました。

 

<健一自然農園>
http://www.kencha.jp
寺田菜々美 プロフィール

長野県長野市出身。実家はりんご農家で、4姉妹の長女として生まれる。小学生の頃から、味にうるさい実家のごはん係を担当していたため、食べることも作ることも大好き。大学は農学部に進学し、有機農業や自然栽培の文化論について研究。卒業後は、日本の伝統と風土に基づいた食や農業を切り口に、地域の魅力を再編し、地域にもっと人を送り込みたいと鉄道会社に入社。現在は、地産品の卸売事業を担当する部署で、たくさんの地域の美味しいものに囲まれながら仕事をしている。