十人豆色~とうふのうまみ旅~
vol.8 豆腐づくりを支える「機械屋さん」の人情

豆腐の原料は、大豆・水・にがり。
シンプルだからこそ、繊細な手作業が仕上がりを大きく左右し、作る人の「人となり」や「考え」、その日の「気分」までも、鏡のように映し出すのだと、職人さんは言います。
だから豆腐の魅力は“十人豆色”(じゅうにんといろ)。
作り手の想いあふれる豆腐との出会いを求め、各地の豆腐屋さんを往き来し、見て、聞いて、味わって、感じ取ってきた豆腐の魅力を綴ります。

豆腐づくりの舞台裏

「俺たちの仕事なんて記事になるのか?なんか、照れるじゃねぇかよ(笑)」

あちこちを見渡しながらシャッターを切る私に、なんだか不思議そうな顔をして尋ねてきたのは、「阿部商店」の阿部栄(あべ さかえ)さん。職業は、豆腐製造の機械ディーラー、通称「機械屋さん」です。


阿部さん

 

大豆をすりつぶす自動の石臼「グラインダー」、豆乳を炊く「煮釜」、豆乳とおからを分ける「絞り機」。 もめん豆腐の成型に使う「プレス台」、出来上がったお豆腐を包装する「パックシーラー」。これらは、基本設備として、豆腐職人の「手作り」を支えている機械です。

これまで「十人豆色~とうふのうまみ旅~」では、豆腐の作り手を中心に取材してきましたが、今回は、豆腐の製造現場の「舞台裏」を支えるお仕事のひとつ、「機械屋さん」にスポットライトを当てたいと思います。


出来上がった豆腐をパック詰めする機械

「機械屋さん」の仕事

まずは、「機械屋さん」の仕事を簡単にまとめます。例えば、あなたが新しく豆腐屋を始めることになった場合、ハード面の面倒を見てもらうのが機械屋さんです。そして、数ある機械メーカーから、あなたが作りたいとイメージする豆腐の「製法」や「量」に合う機械を見つけるお手伝いをしてくれます。開業の予算を抑えるために中古の機械を揃えてくれたり、操縦に関する技術的な指導をしてくれたり、美味しい豆腐が出来上がるまでの相談役にもなってくれます。やっとの想いで無事に豆腐屋さんをオープンさせたあとも、品質や安全性を保つための「メンテナンス」や、機械に不具合が出てしまったときの「修理、店舗のリニューアルや工場の増設など、機械屋さんとは、長く深いお付き合いをすることになります。

このように機械屋さんは、直接、豆腐を作ることはありませんが、豆腐づくりを最前線で支える存在です。それでも普段は、“黒子”に徹するので、豆腐が大好きだという方も、その働きを目にする機会は無いに等しいと思います。

「機械屋さんを取材する人って、いままでいましたか?」と、トラックを運転する阿部さんに助士席から問いかけると、「いねぇな(笑)」と、すかさず返ってきました。


トラックの中で

 

埼玉県川口市にある「阿部商店」は、今年で創業60周年。2代目の阿部栄さんの機械ディーラーとしてのキャリアはおおよそ25年になります。

「先代の親父が現場で怪我をして、自分が代わりに車を運転したのが18歳の頃だったかな。実家に戻ってきて手伝い始めたのは25〜26歳頃」

現在では、東京・埼玉・千葉・神奈川といった関東圏を中心に機械の入れ替えや修理メンテナンスを行っています。呼ばれればどこへでも、という阿部さんは、時には鳥取県の若手豆腐職人の元へ、さらには海を渡ってスペインでの新規開業支援まで、多くの豆腐づくりの現場をサポートしてきました。


トレードマークの「深緑の作業着」。腕ポケットにはペンと定規を常備。

レスキュー隊の心構え

「どんなに朝早くトラブルが起きても、阿部さんが駆けつけてくれるから助かっているんだよ」と、阿部さんのお客さんの一人である豆腐屋のご主人は言います。

定期的に機械メンテナンスを行っていたとしても、いつ、どこで、どんな不具合が出るかは、誰にも予測できません。トラブルが発生した際は、豆腐屋さんの商売に支障をきたさぬように、すぐに駆けつけなければいけないのです。

「豆腐屋さんからすれば、救急車を呼ぶようなものなのですね」と、“レスキュー隊”に例えてみると、「うまいこと言うな~(笑)まあそういうことなんだよ」と、照れ笑いで返してくれました。でも、それって…四六時中、気を張って休めないのでは?


電話に対応する阿部さん

 

「緊急事態は“呼ばれる時間帯”っていうのがあるから、ある程度予測がつくこともあるんだよ。“今日は異常なし”っていうのは、だいたいわかるよ」

真夜中から製造を始める豆腐屋さんも少なくないため、阿部さんのもとに“緊急コール”が掛かってくるのは、一番早いと午前1時、遅くても10時頃まで。電話対応で解決することもあるので、複数のトラブルが重なった時は、優先順位の見極めが重要だと教えてくれました。

豆腐屋の「おくりびと」


取材日の現場

 

この日は、廃業された豆腐工場の撤収。到着すると、阿部さんが「仲間」と呼ぶ機械屋のパートナーや、工事を行う専門業者の方々が着々と作業を進めていました。

60年近く地元に愛された豆腐屋さんの、最後の片づけです。もちろん前向きな「廃業」というケースもあるのですが、機械屋さんは、長年付き合いを続けてきたパートナーの“幕引き”も引き受けなければなりません。


片付けも終盤。残された機械を一台ずつ撤収する

 

「いまの仕事は、廃業・片付け4割、メンテナンス4割、新規開業1割、あとは開業できなかった“茶化し”かな…」

ちょっとブラックユーモア混じりに表現された“茶化し”というのは、「豆腐屋をやりたい」という相談を受けたものの実現できなかった事例。もちろん初めは本気で相談するのですが、話を詰めていくうちに、予算の関係や職人になる覚悟が足りていなかったなど、断念してしまうこともあるようです。

 

厚生労働省の調査によれば、豆腐製造事業者が最も多かったのは昭和30年代で、5万軒以上。現代の“コンビニ”のような感覚で、私たちの暮らす徒歩圏内に存在していたことが想像できます。当時は、お店に容器を持ってくるお客さんに、できたての豆腐を切り売りしたり、ラッパを吹きながら町を売り歩いたり、小売・直売の業態が主流でした。しかし、次第に豆腐を卸してスーパー等の大型店で販売する比較的大きな規模の業態が増えた結果、こういった昔ながらの小規模事業者は数を減らしています。業界の大半を占める家族経営の事業者は、高齢化や後継者問題も深刻化し、年間500軒のペースで減少し続け、現在は約6500軒。阿部さんは、そんな豆腐業界の変遷をすぐそばで見渡し、「おくりびと」の役割を引き受けてきた一人です。


仲間の作業を見届ける表情

 

もちろん、暗いニュースばかりでなく、毎年100軒前後の新規開業の事例もありますし、事業の継承で若返りを見せた豆腐屋さんもあります。彼らを必死にサポートしてきたのも、阿部さんのような機械屋さんであり、さらには原料を供給する大豆問屋さん、商売の先輩にあたる豆腐屋さん、それらをまとめる組合や業界団体のネットワーク。「豆腐一丁」にこれだけの人々が携わっているということがわかります。

「人情」で支える豆腐の未来


豆腐の未来を考える

 

各地の現場のリアルな声に耳を傾けてきた阿部さんだからこそ、業界の変遷や、現在の状況、さらにはこれからますます進む廃業の予測もできる立場であります。だけど、悲観してばかりではいられません。豆腐の未来、豆腐屋の未来を、できるだけ明るい方向へ導いていけるように、と日々奔走しています。

ときに、機械屋さんの一言や気遣いが、豆腐屋さんの背中を押すこともあるようです。

この日現場でご一緒した阿部さんの機械屋仲間、関根商会の関根龍也さんも、
「自分たちが助けられる豆腐屋さんは沢山いるんだよね」と、力強く語ってくれました。
関根さんは、機械の故障を理由に「廃業」を考えた豆腐屋さんに対し、中古の機械を用意して「まだまだ頑張れるよ!」と、説得したこともあるそうです。


関根龍也さん

 

そんな会話を交わすうちに、あっという間に片付いた工場。

「ありがとうな!また何かあったら連絡よこせよ!」

情深く心配性なのは、“職業病”というよりも、阿部さんそのものの“お人柄”なんだと、再確認したのでした。

次回は、明るいニュースを取材しに伺いますね!


最後の見送りは爽やかな笑顔で

 

旅は続きます。

 

〈阿部商店〉
豆腐・ゆば製造機械販売・修理など
埼玉県川口市西青木4丁目3-29
工藤詩織 プロフィール

幼少から豆中心の食生活を送り、豆腐はその中心にあり、無類の豆腐好き。外国人に日本語を教える講師を目指して勉強している過程で食文化も一緒に伝えたい と「豆腐マイスター」を取得。国内だけにとどまらず海外でも、手作り豆腐ワークショップや食育イベントを実施して経験を積む。2018年より「往来(おうらい)」をテーマに本格的に活動を開始。豆腐関連のイベント企画・メディア出演などを通して、各地で豆腐文化の啓蒙活動を行っている。


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