豆腐の原料は、大豆・水・にがり。
シンプルだからこそ、繊細な手作業が仕上がりを大きく左右し、作る人の「人となり」や「考え」、その日の「気分」までも、鏡のように映し出すのだと、職人さんは言います。
だから豆腐の魅力は“十人豆色”(じゅうにんといろ)。
作り手の想いあふれる豆腐との出会いを求め、各地の豆腐屋さんを往き来し、見て、聞いて、味わって、感じ取ってきた豆腐の魅力を綴ります。
午前6時。交通量が多いと言われる東中野の早稲田通りも、数える程の車しか見当たりません。
「朝って一番見せたくないもんなんだよね(笑)でも、こちらはいつも通りの作業をするので、好きに撮っていいよ」
早朝は製造のピークタイム。本来ならば誰にも邪魔されずに作業に打ち込みたいであろう時間帯に現場への潜入を許してくれたのは、明治38年創業、小野田豆腐店の店主、小野田滋(おのだしげる)さんです。約6年前に知り合った当時は「次期店主」として先代の豆腐づくりをサポートしていた小野田さんですが、現在は四代目として114年続くこの老舗豆腐店を切り盛りしています。
奥に細長く続く工房を何度も往復しながら、油揚げの生地づくり、湯葉づくり、メインの豆腐づくりを並行して進めていきます。ほんの数メートル間でも、時間を惜しむように小走り。工程数も作業時間も、省略できないのが豆腐づくりなのだと改めて気づかされました。大豆を擦るグラインダーの様子に注意しつつも、にがりを0.1g単位まできっちりと計量。器材を効率よく出し入れしながら、限られた空間を最大限に活用します。時刻を知らせるのは工房のあちこちに置かれた時計たち。10時開店まで、頭も身体もフル回転。とにかく時間との闘いです。
冷水をはった店頭のショーケースに浮かぶ豆腐は常時5〜7種類。飾り気のないシンプルなパッケージには、大豆やにがりの原産地がしっかり明記されています。小野田豆腐店の看板商品は、北海道音更町(おとふけちょう)の「音更大袖振大豆」を使用した「四代目」シリーズ。特に小野田さんが自身の“フラッグシップ”だと話す「四代目 絹」は、切った豆腐の断面を見てうっとりするほどきめ細やかで、弾力を持ちながらもふわっと滑らかな舌触りが自慢です。上品な甘みと香りを楽しむなら、醤油をかけずに食べるのがおすすめです。
定番商品として並ぶのは、大豆のブレンドによって料理にも使いやすい淡白さが保たれた「小滝(おたき)」シリーズ。そして、香りや味わいに特徴のある大豆を使った「在来寄せ豆腐」は、コーヒーで言うところの「シングルオリジン」のように、大豆そのものを味わう豆腐です。
敢えて大豆の品種を統一せずに、豆腐の種類、さらには、曜日や時期によって、品種や配合を変化させるのが小野田さん流の豆腐づくりの楽しみ方。レシピが日々変わっても美味しく仕上がるのは、豆腐品評会で入賞してきた実力があるからこそ。
他にも、一枚一枚手揚げされた油揚げや厚揚げ、具沢山のがんもどき、プラス一品に嬉しい惣菜たち。オリジナルの納豆や、チョコレートでコーティングされた大豆菓子、国産の菜種油まで取り扱っています。
次は木綿豆腐の型箱の準備です。とは言え、木綿用の豆乳は、まだ完成していないようですが…。
「あとでも良いんだけれど、焦ってやって良いことって無いんだよね」
なんでも先回りして準備をしておくことが大切。つい著者自身の日々を省みてしまう一言でした。
木綿豆腐は穴の空いた型箱に布を敷き、一度固めた豆腐を崩し入れ、余分な水分を抜きながら圧縮して固めていきます。小野田さんは、型箱に敷き詰めたさらし布を適度に濡らしながら、手の甲で、指の先で、丁寧に丁寧にシワをのばしていきます。型箱の四隅まで抜け目なくしっかりと。こうすることで、シワが残り豆腐に布が食い込んでしまうことを防ぎ、角がピンと立った豆腐が出来上がります。
「これで美味しくて綺麗な豆腐ができるなら、ここで手を惜しむことはないなと思って」
たったひと手間をかけるか、かけないか、の違いは、必ず現れる。その繊細な所作を見逃すまいと、食い入るようにのぞき込みました。
この日の「在来寄せ豆腐」に使われていたのは、茨城県産の「あくと豆」。枝豆のように香り高く、どっしりとした甘みが感じられる大豆です。
「一人の世界にどっぷり浸るのは楽しいもんだよ」と話す通り、黙々と作業を続ける小野田さん。
気がつけば、少しずつ空も明るくなってきました。
すりつぶした「呉(ご)」と呼ばれるペースト状の大豆を加熱していくと、どうしても「泡」が発生します。この「泡」が邪魔をして豆乳が均一に煮えづらくなると、日持ちが悪くなり、さらには豆腐の食感や見た目にも影響が出てしまうので、何らかの手段で消す必要があります。昔は油揚げ用の油や米糠を使うこともあったようですが、現在では「消泡剤(しょうほうざい)」と呼ばれる植物油加工品や食品用乳化剤で効率よく消すことができます。このような消泡剤は、安全性が高く出来上がった豆腐の中には残らないと言われていますが、小野田さんはあえて消泡剤を使用しません。その分、加熱の途中で何度も釜を開けては呉をまんべんなくかき混ぜたり、温度管理によって釜の内側の気圧を調整したり、手作業に頼る工程を増やして泡を消していきます。
「もっと楽な方法はあると思うけどね」
こんなに手間が掛かっているというのに、小野田さんのつくる豆腐には、「どうだ!俺の豆腐、美味いだろう!」というような頑固な職人魂よりも、食べる人を一番に慮る「さりげないやさしさ」が宿っているような気がします。だからこそ、一度食べて感動するだけでは飽き足らず、二度三度と足を運ぶようになるお客さんも多いのです。
実は、つい一昨年まで、小野田さんにはもう一つの顔がありました。それはなんと、「タクシードライバー」。「昔から、何かを作って“美味しい”と喜んでもらえることが好きだった」と言う小野田さんは、板前を経て、タクシードライバーに転職。そこから隙間時間に家業の豆腐づくりを手伝っていたそうです。先代からバトンを引き継ぎ、自身の豆腐を製造するようになっても、夜間はタクシーの運転を続けていました。
豆腐職人さんの中には、いわゆる“脱サラ”をして実家を継いだという方もいますが、豆腐屋と並行してタクシーの運転手をする、という“異素材”すぎる2束のわらじを履く方は、後にも先にも小野田さん以外に出会ったことがありません。
タクシーのナンバーは「1028(とうふや)」。このナンバー、豆腐屋さんの車でよく見かけるナンバーなのです。タクシーに乗るお客さんはさすがに勘付かないと思いますが、豆腐屋のアイデンティティを忘れないところが小野田さんらしいです。
午前5時前からお昼過ぎまでは豆腐づくり、夜まで睡眠をとって食事を済ませたらタクシーへ。帰宅は深夜でそこから仮眠をとってまた豆腐づくり。驚きの生活サイクルを送る小野田さんに、「しんどくはないんですか?」と当時尋ねた覚えがあります。
「1日の始まりが何時だかわからない生活だけど、気持ち的にはバランスがとれて良いんだよ。タクシーでお客さんと会話して気分転換しながらお金を稼げれば、豆腐は清らかな気持ちで作れるしね(笑)」
苦労話どころか、あっけらかんと話す小野田さんの言葉に、妙に納得してしまいました。
このようなバックグラウンドを持っているがゆえなのか、小野田さんには人並みはずれた「柔軟性」が備わっています。これまで、お寺で行う手作りとうふワークショップ、料理店で豆腐づくしの料理とお酒を楽しむ会などのイベントにご協力いただいたり、テレビの急な取材に対応してもらったこともあります。企画が未完成な状態で相談をしても「いいよ、できることは協力するよ!」の一言に助けられてきました。時には、仕事の合間を縫って、イベント会場まで顔を出しに来てくれたことまで。いつも頭が下がる思いです。
「実はこの2年、タクシーに乗る時間もなくなってきてね。いよいよ今年廃業なんだ」
2束のわらじ生活を経て、豆腐屋一本へ。小野田さんの職人人生は、次のステージへ進んでいます。
「はい、豆乳どうぞ」
そっと差し出してくれたのは、さきほど搾り機から出てきたばかりの温かい豆乳でした。レトロなカップからは、湯気と共に「あくと豆」のふくよかな香りが漂ってきます。濃度が高い証拠に、逆さになる程カップを傾けてもゆっくりと口に運ばれていきます。大豆が密に詰まった、至福の一杯でした。
かつては“お客さんがやってきたら開店”で、出来立ての豆乳を目当てにやって来るお客さんもいたそうです。
対面販売を避けてでも買い物が済んでしまう現代、個人店とのお付き合いができる“環境”は残っていても、その“習慣”は薄れつつあるのではないでしょうか。
散歩がてら「暖かくなってきましたね」などと、たわいもない話を交しながら搾りたての豆乳を買って飲む朝。夕ご飯のおかずを求めて駆け込み、「お疲れさまです」と労い合う夕方。豆腐屋さんでの買い物は、誰かに自慢をするような出来事でなくとも、つくる人と食べる人の温かく確かな繋がりを感じる掛け替えのないひとときだと思います。
「おかげさまで忙しいからね〜(笑)じゃ、またね〜」
午前8時半。小野田さんは息つく間もなくバイクにまたがり、得意先へ配達に出掛けて行きました。
一杯の豆乳を片手に、神田川に架かる小滝橋を渡る帰り道。
桜のつぼみに小さな春の訪れを感じた朝でした。
旅は続きます。
幼少から豆中心の食生活を送り、豆腐はその中心にあり、無類の豆腐好き。外国人に日本語を教える講師を目指して勉強している過程で食文化も一緒に伝えたい と「豆腐マイスター」を取得。国内だけにとどまらず海外でも、手作り豆腐ワークショップや食育イベントを実施して経験を積む。2018年より「往来(おうらい)」をテーマに本格的に活動を開始。豆腐関連のイベント企画・メディア出演などを通して、各地で豆腐文化の啓蒙活動を行っている。
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