ニッポン全国、ヒトつながり。
vol.4「和歌山県みなべ町 梅農家の作る梅酒・有本農園 有本陽平さん」

日本百貨店の鈴木です。

人繋がりがあればこそ、一つながりにつながっていくご縁。4回目は、損得勘定関係なく、何年も当社を応援してくれている先輩が繋いでくれた、和歌山県の梅農家とのご縁と、彼が作る梅酒のお話し。

日本百貨店の店舗の中で一番広いのが、秋葉原にあります「日本百貨店しょくひんかん」。5年前、2013年7月に、“日本全国の食のテーマパークを作ろう!”と、全国のアンテナショップの集合体のような賑わいのあるお店を目指してオープンいたしました。300坪の広い敷地内には私どもが「ぜひ都心のマーケットで販売したい!」と感じたローカル商材が常時4,000種類、多い時には6,000種類。ずらりと並んでおります。ぜひ遊びにいらしてください。

日本百貨店が大事にするのが人とのご縁。この店舗の大きな特徴は、全国の作り手さんが自ら試食販売にいらして、お客様に自身の自慢の逸品をお勧めすること。特に週末は常時何人もの作り手さんが全国から集まって、店内はにぎやかになります。ただ置いておくだけ、食べてもらうだけではなくて、これは何なのか、なんでこれを作っているのか、作り手たちの熱いトークに、聞き入るお客様にも自然に熱が入り、このモノが好き、というだけではなく、このヒトが好き、と、ヒトとモノとの付き合いではなくヒトとヒトとの付き合いが生まれてまいります。ヒトは、新しいモノが出たとなればすぐいままでのモノは裏切れますが、ヒトはなかなか裏切れない。私の持論です。しょくひんかんでの出会いが、その後の長いお付き合いにつながる光景を何度も目の当たりにしてまいりました。しょくひんかんに集まるお客様は、地域産品に対する興味が深く、生産者さんのお話を熱心に聞いてくださいます。それがうれしくて、わざわざ日本全国から、年間何度も試食販売にいらっしゃる生産者さんがたくさん居ます。


梅生産者の有本陽平さん

 

そんな生産者さんの一人、有本陽平。私は普段は陽平と呼んでいます。当社との付き合いはもう3年ほどになりますでしょうか。
日経BP総研の上席研究員というなんだかお堅い肩書を持つ渡辺さんという方がいらっしゃいまして、地域活性化のお仕事をされています。そう聞くと日本百貨店と何かお仕事のつながりがありそうに見えるのですが、実はほとんどない笑。お互いほとんどしがらみはなく、ただ単に「同じ街の同じ飲み屋」(世田谷区経堂というところですが)の常連さんというだけで、行ってしまえば飲み友達です。渡辺さんは陰に日向に、いつも日本百貨店を応援してくださっています。

3年ほど前のある日、渡辺さんが「鈴木さん、僕和歌山のみなべ町の出身なんですが、日本百貨店にはあまり梅干し置いてないですね。一度みなべ町、一緒に行きませんか?農家紹介しますよ」おお、地元の人が紹介してくれるとは!みなべ町と言えば南高梅の生まれた町として有名な、梅の産地!(ちなみに。。。南高梅=南部<みなべ>高校つまり南高で研究開発された梅なんですって。)ほんとにいいもの・おいしいものとの出会いには、地元の人のおすすめやご紹介が欠かせないことはこの10年で嫌というほど身についていますので、しっぽを振ってついていきました。

たくさんの農家さんや梅加工業者さんを紹介されて、一日中大忙し。その時にご紹介いただいた方々の商品は、今も日本百貨店しょくひんかん内の「日本“梅”百貨店コーナー」で販売されています。梅干しにこんだけいろんな奥行きのあるストーリーがあったんだ!感動いたしました。夜、渡辺さんと反省会と称して一杯飲んでおります時に紹介されたのが、有本陽平でした。「高校の時の同級生の息子なんだよー!偶然仕事であって話してたら、なんとなんとでびっくりしたよー!」と渡辺さん。話してみると、梅農家でありながら梅酒を作っていると。


日本梅百貨店コーナー

 


多種多様な梅が並ぶしょくひんかん

 

梅の産地・和歌山県のみなべや田辺では、梅農家さんと梅加工業者さんが居て、農家さんから梅を買い上げて、加工業者さんが加工品にして流通させるのが一般的です。農家さんが加工するのはせいぜい梅干し程度で、それ以上のものは流通(販売)も含め、業者さんに任せてしまうのが一般的。

なんで農家さんなのに梅酒作ってるの?がぜん興味がわきました。30になったばかり、純粋そうな眼をした陽平が、もじもじしながら言いました。「いや、すごく不純な動機なんですよ」


梅への愛!

 

なんでも合コンに行ったときに、梅農家ですと話すと一歩引かれる。さらに女性によっては、長男なのかどうかの確認までされて、長男ですと答えるとさらに引かれる。

1990年代の梅バブルと一部で呼ばれている時代は、作れば作るだけ売れて、梅農家さんが儲かってしょうがなかった、産地としても勢いがあったそうですが、どんどんと消費量が減っていき、また他産地や海外製品との競争もあり値段も買いたたかれているのが現状だそうです。そんな中、梅農家にお嫁に行きたいという女性が地元でも減っているのだとか。

「有本陽平のところにお嫁に行きたいって言わせたくって。なんかしてやろうと思ったんです!」力強く語る陽平、いいこと言ってるのですが、身にまとう雰囲気が若干チャラいので(イマドキ)、なんだかいやらしく感じたのですが。。。「いやらしくないです!結婚したいです!」

彼の作る梅酒は二種類。地元の高垣酒造の吟醸酒を使用したPlumity White、ホワイトリカーで漬け込んだPlumity Black。それぞれ720mlで4,000円と3,000円。高い!梅酒はコンビニにも売っていますが、その2倍も3倍もするお値段。初めての出会いの時に飲ませてもらったのですが、確かにおいしい。だけどこの値段、普通じゃ売れねぇだろ。。。

陽平は高校を卒業して筑波の果樹研究所で2年間の勉強、地元に戻り梅研究所で研究をしながら、実家の梅農家のお手伝いを始めます。結婚するためにも何かしなきゃと考えている中で、みなべ町の後押しもあり、付加価値の高いものを梅農家自ら作る、梅農家だからこそわかる本当にいい原材料を使う。そう考えて行きついたのが、「梅農家の作る梅酒」でした。他にはないもの、本物の中の本物。チャラい顔してますが梅酒に注ぐ情熱は本物で(結婚に注ぐ情熱ではなく)、例えば原材料となる梅。通常梅干しを作るときは、梅の木から落ちた実=熟した梅を使います。陽平の場合は熟す前の段階で、一つ一つ梅の実を摘む。そして自身で追熟させて、最高の状態の梅を使用する。一つ一つの工程にそういったこだわりを当たり前のように加えていく。だから値段がどうしても高くなる。


ひとつひとつの梅を摘む

 


まだ熟してません!

 

「この本物の梅酒を、東京で売りたいんです、どうしたらいいでしょう鈴木さん!」その時にお話ししたのが、ヒトつながりのお話です。普通に置いておいても売れない高い梅酒を売るには、陽平自身が広告塔になり、どうしてこの梅酒がいいんだ、何がおすすめなんだ、飲んだ人にどんないいことがあるんだ。そんなことを語るべきじゃないか。日本百貨店店頭で試飲販売をするもいいし、お客様に向けて自信の商品を説明する機会を設けてもいい、とにかく自分が動いて、有本陽平の梅酒はすごい!という評価を得ないと、とても売れない値段だぜ!


陽平の梅酒を語る会

 

若干酔っぱらってましたので熱く語り合い、その年の年末に実現したのが日本百貨店しょくひんかんでの「有本陽平の梅酒を語る会」。もちろん前出の渡辺さんにもご協力いただき(写真一番右が渡辺さん。ちなみに右から二番目が地域を元気にするプロデューサー(怪しくない)の須田さん。三番目が缶詰博士の黒川さん。お三方とも全国歩き回って様々な食に出会っていて、まさに食のプロとも言えます)、大御所3人が突っ込む、陽平が答える、そしてお客様皆様で試飲をする。

会に参加してくださった方々が、なにもお願いしていないのにほぼ皆様陽平の梅酒を買っていく姿を見て、あ、これ行ける。この梅酒売れるぞ。みんなで盛り上がりました。
それから陽平は事あるごとに東京に来ては、嫁さん探しならぬ梅酒の試飲販売。当社では年末のギフトとして定着してまいりまして、なんと昨年は陽平の梅酒だけで100万円以上の売り上げが!今では陽平さまさまです。

一つ一つの出会いを適当にいなすのではなく、自分事として何かできることないかな、こうしたら楽しいかな。そんなことを考えながら過ごしていたら、こういう成功事例も生まれます。毎回成功するわけじゃないので、常に楽しむ気持ちを持っていないとつらいばかりですが。陽平の梅酒を売る笑顔を見るたびに、人繋がりの中で自分たちができることを誠心誠意、やっていこうかなと心を新たにさせてもらいます。

鈴木正晴さん プロフィール

株式会社日本百貨店 代表取締役社長
日本百貨店 ディレクター兼バイヤー
群馬県桐生市 PR大使

1975年神奈川県生まれ。1997年東京大学教育学部卒業後、伊藤忠商事㈱に入社。アパレル関連の部門で、素材、生産から小売部門まで幅広く担当。その後、ブランドマーケティング事業部にて、各種国内外のブランディングの仕事に携わる。海外とのやり取りを日々行う中で、逆に日本国内の商品および文化の価値を再認識。国内の“モノづくり”文化に根差したすぐれものをより広いマーケットに広める一助となりたいと考え、2006年3月伊藤忠商事を退社。同年4月に株式会社コンタンを立ち上げ、made in JAPAN商品の海外輸出、国内外のブランドのブランディング業務を行う。 2010年12月には東京・御徒町に、「日本百貨店」をオープン。2013年9月に吉祥寺、2014年3月にたまぷらーざ、同年7月に池袋、2016年3月に横浜赤レンガ倉庫に出店。また2013年6月には食品専門の「しょくひんかん」を秋葉原にオープン。食・雑貨・衣料雑貨など、全国から様々なこだわりの商材を集め、作り手と使い手の出会いの場を創出し続ける。 直営店7店舗に加え、店舗コンセプトのプランニングや出店サポートの業務や、全国各地の小売店に“日本のスグレモノ”の卸販売も行う。著書に「日本百貨店」(飛鳥新社)、「ものづくり『おもいやり』マーケティング」(実業之日本社)がある。